■ 戦争を語り継ぐ会パート7

2013年8月25日(日)美住・九条の会主催の、戦争を語り継ぐ会パート7が開催されました。
この戦争を語り継ぐ会は、毎年8月か9月に、戦争体験を風化させないように続けている催しです。今年は22人が参加しました。
「樺太で迎えた敗戦」と題し美住町一丁目在住の、野上トヨさんが聞き手の問いに答える形で、1945年の8月9日から25日までを中心に話されました。
 北海道の長万部で昭和7年に生まれた野上さんは、小学入学の前年、樺太の北緯50度線近くの安別に一家で移住し、そこで父を亡くし恵須取(エストル)におじたちを頼って引っ越しました。  昭和20年8月ソ連軍の参戦による、空襲や艦砲射撃を逃れて馬車で山越えをし、途中でソ連機が撒いたビラによって敗戦を知りました。敷香(シスカ)からは貨物列車で南下し真岡の港にたどり着きました(20日前後頃)。ところが引き揚げ船が満員で乗船をあきらめ、劇場に非難したところ、その船は魚雷により沈没し命拾いしました。  大泊を経由して大変怖い思いをしながら豊原に移り、そこで一軒家をかり、ウクライナ系、ギリシャ系の2人のソ連軍の上級軍人を下宿させながら2年間を過ごして、母の実家函館に引き揚げてきました、とお話になりました。
 8月15日以降も戦争が続いていた、樺太の状況を知ることが出来ました。
以下は配布された案内です。
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